天皇への敗北

國分功一郎の「シリーズ哲学講話」を、追いかけて読んでいます。「目的への抵抗」「手段からの解放」と読んできて、3冊目が出たので今回も読もうと思って手に取りました。テーマがたまたま天皇だった、という順番です。天皇について知りたくて選んだ本ではありませんでした。

読んだのは今年の4月か5月頃だったと思います。結論から言うと、前半はかなり腑に落ちて、後半はよく分かりませんでした。今回この記事を書くにあたって、分からなかった部分を調べ直したり、人に説明してもらったりしながら理解し直しています。なので、これは書評であると同時に、私が読み落としていたところを辿り直した記録でもあります。

前提整理:9条は天皇を守るために作られた

まず、この本を読むうえで前提になる話から書きます。私はここが曖昧なまま読み始めてしまったので、同じような方のために整理しておきます。

1945年に日本が戦争に負けたとき、連合国の中には「天皇を戦犯として裁くべきだ」「天皇制をなくすべきだ」という声が強くありました。世界から見れば、天皇は日本という国のリーダーに見えていたわけですから、そうなるのも当然だと思います。

一方でアメリカは、占領を円滑に進めるために天皇を残したいと考えていました。そこで問題になったのが、天皇を残すことを他の国にどう納得させるか、です。天皇を残せば、また日本が天皇の名のもとに戦争を始めるのではないか、と各国が警戒するからです。

その答えが憲法9条でした。この国は二度と戦争をしません、と憲法に書き込む。それによって、天皇を残すことへの国際的な了承を取り付けた。

9条がどう生まれたかについては諸説あって、これが唯一の説明というわけではないようです。ただ本書が立っているのはこの見方で、そう置くと、9条は1条を守るために用意されたものだったことになります。天皇の存続が目的で、戦争放棄はそのための手段だった、という順序です。

ところが現在は、その関係が逆さまになっています。2010年代、安倍政権が9条の解釈を変えようとしたとき、それに抵抗する姿勢を見せたのが当時の天皇、現在の上皇でした。守られる側だったはずの天皇が、9条を守る側に回った。國分はこれを「1条のための9条から、9条のための1条への変化」と書いています。

目的と手段が入れ替わった — 1946年は天皇を残すことが目的で戦争放棄が手段だったが、2010年代には天皇が9条を守る側に回ったことを示す対比図

ただし、これは成立の経緯の話です。現在の天皇の足場は、9条ではなく憲法そのものにあります。憲法1条が「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」と定めているから天皇でいられる。だとすれば、憲法の意味を時の政権が好きに変えられるという態度が通用してしまったとき、危うくなるのは9条だけではありません。同じやり方で1条の意味も動かせることになるからです。

だから國分は、天皇が護憲側に回るのは人格や善意の問題ではないと書きます。憲法によって定義された存在である以上、憲法を壊そうとする勢力とは構造上、敵対するしかない。自分の立っている土台を守っているだけだ、という説明です。

この説明を読んだときの感触は、「そんな仕組みだったのか」という驚きよりも、「そうなるべくしてなったのだろうな」という納得に近いものでした。

危機に陥っていたのは民主主義ではなく立憲主義

前半で一番よく理解できたのが、ここです。

國分はこう書いています。「自分たちで民主的に決めたのだから何が悪いのだ。なぜそれにケチをつけるのだ」と民意を盾に居直るのでもなく、憲法に書かれているのだから守りなさいと専門家から形式的に押しつけられるがままになるのでもない。その緊張関係の中で両方の理念を守り抜いていく。それが戦後の日本の憲法学が目指していた「戦後民主主義」の姿だった、と。

立憲主義は二つの居直りを同時に拒む — 民意の居直りと専門家の押しつけの両方に寄りかからず、緊張関係の中で両方の理念を守る構図

そのうえで、第二次安倍政権の時期に危機に陥っていたのは、民主主義というよりも立憲主義だった、と診断します。

これが何を指しているのか、私は読んだ当時ぼんやりとしか掴めていませんでした。改めて調べ直したので、書いておきます。

2014年7月1日、安倍内閣は閣議決定で憲法解釈を変更しました。それまで歴代の内閣は長年にわたって、一貫してこう説明してきました。集団的自衛権、つまり同盟国が攻撃されたら一緒に反撃する権利は、国際法上は日本も持っている。ただし9条のもとで許されるのは必要最小限の自衛だけなので、行使はできない、と。

これを、一つの内閣の閣議決定でひっくり返しました。日本と密接な関係にある他国が攻撃され、日本国民の生命が根底から覆される明白な危険がある場合には行使できる、という新しい解釈です。翌2015年に安保法制として法律になりました。

政府側の理屈としては、中国の台頭や北朝鮮への対応、そして米国との同盟強化がありました。日本近海で米軍の艦船が攻撃されたときに助けられない、という状態を解消したかった、ということです。

問題は、その中身よりもやり方の方にあります。

本来こういう変更をしたければ、憲法改正の手続きを踏むはずです。両院の3分の2の賛成と、国民投票が必要です。実際、安倍政権は2013年に、まずそのハードルを下げるための96条改正を狙っています。しかし批判を浴びて頓挫しました。そこで取ったのが、改正せずに解釈だけを変えるという道でした。

しかもその前年、政府の憲法解釈を担当する内閣法制局のトップに、それまでの慣例を破って集団的自衛権を認める立場の人物を起用しています。解釈を変えるために、解釈する人を替えた形です。

憲法を変える正規の道と実際に通った道 — 発議・両院3分の2・国民投票という手続きに対し、96条改正の頓挫、法制局長官の交代、閣議決定による解釈変更という経路を並べたフロー図

こうなると、憲法の意味を、憲法が定めた手続きを通さずに、時の内閣が書き換えられることになります。これが「危機に陥っていたのは民主主義ではなく立憲主義の方だった」という診断の意味です。多数決で選ばれた政権が、多数決で決めたのだからいいだろう、という理屈で進んでいく。止めるはずの仕組みの方が壊れかけていた、ということだと理解しました。

ちなみに2015年6月、衆議院の憲法審査会に呼ばれた憲法学者3人が全員「違憲」と述べて政権を慌てさせるのですが、そのうち一人は自民党自身が推薦した長谷部恭男でした。本書の後半にも、別の文脈で登場する人です。

この本を読んで一つ、遅ればせながら理解したことがあります。自由民主党に対して立憲民主党という党名があることの意味です。

恥ずかしながら私はこれまで、党名として並んでいるくらいの認識でした。でも「立憲」というのは、多数決の暴走を止めるための概念なのだと分かると、名前の置き方そのものが対抗的な意味を持っていることが見えてきます。今の政治の動きを見ていると、多数決で決めているのだから何が悪いのだという姿勢や、そもそもルールを守っているとは思えない場面が目につきます。それに対峙する概念としての「立憲」だったのか、と。

後半は完全に迷子に…

ここからは正直に書きます。

本書は全5章のうち、後半にあたる第三章から終章までが、憲法学ではなく文学の話になります。加藤典洋の「敗戦後論」、中野重治という作家、江藤淳という批評家。この3人をめぐる読解が延々と続きます。

私はここで完全に迷子になりました。

引用がとにかく長いのです。しかも、その引用がどこまで意味を持っているのかが読み取れない。なぜ今、天皇の話をしているのに、中野重治や江藤淳の話をつらつらと読まなければいけないのか。その必然性が最後まで掴めませんでした。

とはいえ、期待外れだったかというと、そうではありません。全体としては読んでよかったと思っています。特に前半の、民主主義と立憲主義をめぐるくだりは、新書という形で扱われるべき内容でした。

読者を選ぶ本だとは思います。戦後文学の素養がある方なら、おそらく後半こそが読みどころになるのでしょう。私のように、天皇と憲法の関係を一から知りたいという動機で手に取ると、途中から別の本を読んでいるような感覚になります。

皇室典範の改正に感じた気持ち悪さ

読んでいた4月から5月にかけて、国会では皇室典範の改正が議論されていました。そして今年7月17日、改正皇室典範が参議院本会議で可決・成立しています。1947年に現在の皇室典範ができてから、実質的な改正としては79年ぶりです。

決まったのは大きく2つです。

1つは、女性皇族が結婚後も皇族の身分を保持できるようになったこと。ご本人の意向を尊重したうえで、婚姻後も皇室にとどまり、公的な活動を続けられます。ただし配偶者と子どもは皇族になりません。法文には明記されず、政府が現行法の解釈ではそうなると説明する形で決着しました。

もう1つは、戦後に皇籍を離れた旧宮家の男系男子を、養子として皇室に迎える制度です。養子本人に皇位継承資格はなく、その子どもが男性であれば資格を持ちます。

そして、女性天皇や女系天皇を認めるかどうかという肝心の議論は、先送りされました。

2026年皇室典範改正で決まったこと — 女性皇族は結婚後も身分を保持できるが配偶者と子は皇族にならず、旧宮家の養子は本人に継承資格がなくその子に生じることを示す図

私はこのニュースを見ながらずっと、そこまで無理をして男系男子を養子に迎えるくらいなら、女性天皇を認めればいいのではないか、と思っていました。

男の子が生まれるか女の子が生まれるかは、人間である以上どうしようもないことです。誰にも覆せません。天皇だからといって、そこが有利になるわけでもない。それに対してあれこれと理屈をこねて男系男子を優先しようとするのは、自然の摂理に反しているというか、無理をしすぎているように感じます。今たまたま女性が生まれているのなら、それに従う方が自然ではないか、というだけの話です。

これは男女平等の話ではありません。もう少し正確に言うと、私が引っかかっているのは、原則が変えられようとしていること自体ではないのだと思います。

誰が生まれてくるかは選べない。これは、この地球で暮らしている全員が等しく引き受けている前提です。本来なら、そこは全員が認めたうえで話を始めるところのはずです。

ところが今回の議論では、その前提が変えられているというより、そもそも無かったことにされている。そのうえで、今この日本に生きている一部の人たちの解釈に合うように、話の方が作り替えられようとしている。

気持ち悪さの正体は、たぶんそこです。

ところが本書には、この感覚に真正面から反論する引用が出てきます。先ほど名前を出した憲法学者の長谷部恭男の議論です。

長谷部はこう書いています。日本国憲法は平等な個人という原則を立てたが、世襲の天皇制という身分制の「飛び地」を残した。飛び地の中には憲法が保障する人権は及ばない。だから「女帝が認められないのは男女平等原則に反する」という議論は、飛び地の外の原則を飛び地の中に持ち込む倒錯した議論であって、まじめな考慮にあたいしない。男女平等を貫くのなら、飛び地そのものをなくすのが先だ、と。

かなり突き放した書き方です。

これは理解できませんでした。天皇も生物学的には人です。人であるのに人権がないというのは、どう考えても無理があると思います。過去の人が例外として決めたのだとしても、今の時代にそぐわない。では過去なら筋が通っていたのかと言われれば、過去においても意味が分からない、というのが率直なところです。

國分もこの議論には納得していないようで、長谷部に直接、憲法学的にどう整合性が取れるのかと尋ねたら、口を濁されたように思う、と書いています。一方で憲法学者の樋口陽一は逆の立場で、天皇は自由意思で即位しているのだから自由意思でやめられる、公務員のようなものだ、と言う。憲法学者の間でも見解が割れているのだそうです。

ここは読んでいて、少し安心した部分でもありました。専門家の間でも決着していないのなら、素人が納得できないのも当然かもしれない、と。

自分からみた天皇の捉え方

もう一つ、この本で知ったことがあります。憲法1条には、天皇の地位は「主権の存する日本国民の総意に基く」と書かれています。ところが実際に天皇制が残った経緯は、国民の総意ではありませんでした。占領を円滑にしたいアメリカの都合が大きかった。

日本発信ではないところで天皇が残っている。これは知っておいてよかったです。

とはいえ、これを知って天皇制への見方が変わったかというと、変わりませんでした。生まれたときからずっとあったものなので、そういうものか、という受け止め方です。経緯がアメリカの都合であったとしても、特にネガティブな印象は湧きませんでした。

私の中には、二つの気持ちが同時にあります。

一方には、天皇に対する一定のリスペクトがあります。崇拝という意味ではなく、もっとナチュラルな感覚です。それが後天的に刷り込まれた知識によるものだという自覚もありますが、天皇がいるというのはすごいことだと感じる部分は確かにあります。

もう一方には、こういう感覚もあります。暮らして、家族を持って、子どもができたけれど女性ばかりだったなら、家系が途絶えることもある。そのときはもう仕方がない。天皇が日本にとって大事なものだとはなんとなく思いますが、それ以上の畏敬の念があるかというと、正直そこまでではありません。

この二つは矛盾しているように見えるかもしれませんが、私の中では両方とも本心です。どちらかが建前で、どちらかが本音だということでもありません。

私が迷子になった後半、あの長い文学読解で國分が説明しようとしていたのは、この状態のことでした。

中野重治の「村の家」という小説に、こういう場面があります。思想を捨てると誓わされて刑務所を出てきた息子に、父親が延々と説得する。お前がこれから書くものは、一度屈服した男が書いたものになる。そうすると、屈服する前に書いた文章の値打ちまで後から殺してしまう。だから、これまで書いたものを生かしたいなら筆を捨てろ、農業をやれ、と。感情論ではなく、筋の通った理屈です。

それに対して息子は、ひとことだけ返します。「よくわかりますが、やはり書いて行きたいと思います」。

批評家の江藤淳は、ここに嘘を見ました。分かると言いながら書き続けるのなら、内心では父を拒絶している。これは父への裏切りを穏やかな言葉で隠しているのだ、と。

國分はこれを強く退けます。息子は嘘をついていない。父の理屈が正しいと本当に分かっていて、同時に書き続けたいとも本当に思っている。どちらも本心で、片方に片付けていないだけだ。國分の言葉を借りれば、単に二つのことを同時に見据えていた、ということになります。

「村の家」をめぐる二つの読み — 江藤淳はどちらかは嘘だと読み、國分功一郎はどちらも本当だと読む対比図

そして加藤典洋の「ねじれ」という議論も、同じ形をしています。憲法は押しつけられたものだ、という事実と、それでも自分たちはこの価値観を欲している、という感覚。この二つが両立しないまま、日本は最初から自分で望んだのだと言い張る側と、押しつけだから無効だと言う側に分裂してしまった。國分が厳しく批判するのは、平和憲法によって自分たちは生まれ変わったのだという顔をしながら、実際には何も変わっていないのに変わったと信じ込む、その自己欺瞞の方です。

言われてみると、憲法を自分から欲したのか押し付けられたのかという二項対立のどちらかに振れてしまうと、本質が見えなくなる。実際にはどちらの気持ちも共存していた。そう簡単に割り切れないからこそ、今に至るまで問題が解決せずに広がっているのだと思います。

第四章の長い文学読解は、それができた例として持ち出されていたのだと思います。

そう考えると、少しおかしなことが起きています。私は説明の方を受け取り損ねていました。でも中身の方は、天皇に対する自分の感覚として、すでに持っていた。

ただ、持っていることと、それが何なのか分かっていることは、まったく別でした。私は自分の中の二つの気持ちを、態度を決めきれない中途半端さだと思っていたのです。片付けなくていいものだと気づいたのは、読み飛ばした後半を、この記事を書きながら辿り直したからでした。読めていなかった章に、後になって助けられたことになります。

さいごに

読み終えて残ったのは、自分と天皇との距離を測り直した、という感触でした。

賛成でも反対でもなく、崇敬でも否定でもない場所に、自分がいることが分かった。しかもその中途半端さは、態度を決めきれていない弱さではないのかもしれない、と思えるようになりました。

結局この本が問うているのは、両義性を抱えられるかどうかなのだと思います。Aの理屈も分かる、Bの理屈も分かる。そのどちらも本当だという状態に、自分の感情のまま留まっていられるか。片方に寄せて楽になろうとせずにいられるか。

後半は難しいです。引用も長いところは割り切って読むしかありません。それでも、前半だけでも読む価値は十分にあります。つい先月に決まったばかりの話でもありますし、天皇と憲法の関係を一度きちんと辿っておくと、ニュースの見え方が変わります。

皇室典範の改正について賛成とも反対とも言い切れないままの人がいるとしたら、考えが足りないからではなく、二つが同時に見えているからかもしれません。少なくとも私はそうでした。