センスの哲学

千葉雅也さんのことは以前から存じ上げていたものの、なかなか手に取る機会がありませんでした。今回、初めて「センスの哲学」を手に取ってみたのは、自分自身が美学やアートの見方に興味を持っていたからです。「現代思想入門」も気になってはいたのですが、とっつきやすさで言えばこちらだったので、まずはこの本から読み始めてみました。結論から言うと、入門書としてよくできた一冊でした。ただ、「もったいない」と感じた部分もあります。

「意味よりリズム」というテーゼ

意味で捉える vs リズムで捉える — 千葉雅也「センスの哲学」の核心テーゼを示す比較図

本書の核心は、「センスとは意味や目的から離れて、対象をリズムとして捉えること」というテーゼです。

私たちは映画を観ても小説を読んでも、つい「これは何を言いたいのか」と意味を求めてしまいます。千葉雅也さんはそうした意味への還元に疑問を投げかけます。意味の解釈に先立つ、形・色・響き・味といった形式的な「リズム」への感受性こそがセンスの本質だと。

この主張には説得力があります。たとえば人との会話で、相手の言葉の「意味」に反応するのではなく、その場の空気や声のトーンの流れの中で、音のやりとりとして楽しむような瞬間があります。意味を追いかけることから少し離れたところに、確かに面白さがある。その感覚は日常の中で覚えがあるものです。ただ、そうした面白さはその場限りのもので、コミュニケーション以外に汎用的に活かせるかと聞かれると、正直まだイメージが湧いていないというのが個人的な実感です。

本書ではさらに「構造的感動」という概念が提示されます。喜怒哀楽を中心とする大まかな感動を半分に抑えて、いろいろな部分の面白さに注目する — その両立がセンスだと千葉雅也さんは言います。物語の展開に感情を引っ張られるのとは別の回路で、要素の配置や組み合わせ自体に感動する。たとえば映画を観て「主人公がかわいそう」という感情的な反応とは別に、ショットの切り替わりや色彩の配置、音の重なり方に注目する。そちらの回路を開くことが、センスを活性化させるということなのだと思います。

ヘラクレイトスの「生成変化」とパルメニデスの「存在論」という哲学の古い二つの立場から「リズム」を捉え直す箇所も印象的でした。リズムとは生成変化の流れであり、そこには存在と不在の明滅が潜んでいる。絵画でも音楽でも、はっきりした対立関係に注意が向くか、もっと微妙なところを見るか — どんなジャンルにも共通する二つの観点があるという整理は、すっきりしていて腑に落ちます。

こうした概念を哲学の言葉で丁寧に組み立てていく手つきは、千葉雅也さんならではの持ち味だと感じました。音楽、絵画、小説、映画とジャンルを横断しながら、変に専門用語でマウントを取るわけでもなく、口語的で読みやすい文体で進んでいく。入門書としての間口の広さは、この点に支えられていると思います。

「自分で作った人」の言葉が見えない

理論の説得力はどこで生まれるか — 理論を語る・自分で実践する・他者も変わるの3ステップ図

ただ、読み終えたとき、ある種の物足りなさが残りました。

言っていることは正しいと思います。説得力もあります。でも、どこまで読んでも千葉雅也さん自身が「何を作って、そこで何に気づいたか」が出てこない。

千葉雅也さんは哲学者であると同時に小説家でもあり、「デッドライン」で野間文芸新人賞、「マジックミラー」で川端康成文学賞を受賞しています。つまり文章を作っている人です。それならなおのこと、小説を書くプロセスの中で「リズム」をどう意識したのか、自分の癖にどう向き合ったのか — そういう創作の内側からの言葉がもっとあってもよかったのではないかと感じました。

たとえば、ある小説の一場面を書いているとき、意味ではなくリズムを優先したことで展開が変わった、あるいは自分の文体の癖にリズムという視点から気づいた — そういった経験が一つでもあれば、読者は「なるほど、こうやって使えるのか」と実感できます。文章を書く人が「意味ではなくリズムで文章を捉えた具体例」を示さないのは、もったいないと思いました。

これは「センスの哲学」だけの問題ではなく、美術書というジャンル全体に感じている課題でもあります。理論を語る人は多いのですが、自分で実践したか、それを他者に伝えて行動の変化が起きたか — そこまで踏み込んでいる本はあまり見かけません。再現性の検証が抜けてしまっているのです。「リズムで捉えるとはこういうことだ」と自分の言葉で語り、さらにそれを聞いた誰かが実際に変わった — そこまで示して初めて理論は地に足がつきます。正しいことを言っていても、「で、あなたはそれをやったんですか?」という問いに答えられないと、やはり机上の空論に見えてしまいます。

付録のワーク — 方向性は正しいが、問い方には疑問が残る

付録「芸術と生活をつなぐワーク」3つのステップ — 大事な作品から始める・教養は後から・生活をリズム的に捉える

本書の末尾には「芸術と生活をつなぐワーク」という付録があります。ここでは3つのステップが提案されています。

1つ目は「自分にとって大事な作品から始める」。意味的な重要性ではなく、なぜか体に残っているものを選ぶ。アニメでも音楽でもゲームでも何でもいい。それをリズムに注目して再鑑賞し、そこから枝葉を伸ばすように他の作品へ広げていく。

2つ目は「一般教養」。ただし美術史を最初からではなく、自分が興味のある時代から遡っていく。

3つ目は「生活をリズム的に捉える」。食べ物、インテリア、服の組み合わせ、風景 — 日常のあらゆるものの凸凹を確認してみる。

方向性としては非常にいいアプローチだと思います。特に「教養は後回し」「自分の体に残っているものから出発する」という順序には共感します。

ただ、正直に言うと、6年間美大に在籍していた自分からすると、この内容自体はかなり当たり前のことに聞こえてしまうのも事実です。自分にとって大事な作品から始めること、理屈抜きで残っているものを選ぶこと — これは美大であればどこでも普通にやっていることです。

もちろん、本書の読者の多くはビジネスパーソンや一般層です。芸術教育を受けていない人に向けて、美大では当たり前にやっていることを哲学の言葉で翻訳し直しているという側面はあるでしょう。そう考えれば、この付録の存在自体に価値はあると思います。

ただ、それでも気になったのは「問いの質」です。「体に残っているものを選んでください」という問いかけ自体が、少し粗いと感じました。美大での6年間を振り返ると、同じ方向性であっても、問いの言葉一つで引き出されるものはまったく変わります。もっと適切なワードチョイスがあったのではないかと思いますし、問いの設計次第で、本人も気づいていなかったものが表面化する。そこにこそ専門性があるはずです。

この点でも、千葉雅也さん自身が誰かにワークを実施して「こういう反応があった」「こう変化した」という事例があれば、説得力はまったく違ったはずです。

言語化、仮固定、そしてAIの問い

批判的な点はありつつも、本書の中で響いた箇所もあります。

一つは、日常のささやかなことを言葉にすること自体が、もう芸術制作の始まりだという趣旨の記述です。ちょっとしたことを言葉にするのには心理的なハードルがある。意味がない、無目的だと感じるからです。でも、ものを見る、聞く、食べるといった経験から言葉のリズムを作ることは、もう文学だと千葉雅也さんは述べています。

何かの作品について、部分から部分へと目を遊ばせて、思うところがあればそれを言葉にする。全体として何が言いたいかという結論がなくても、十分に批評だと言える — この考え方は、批評や鑑賞への敷居を下げるものとして有効だと思います。

もう一つは、不安との向き合い方です。技術が十分でないから始められないという自己抑制に陥るのではなく、途中で諦めて仮固定として形を作ることが大事だという趣旨のことが書かれています。不安が解消されてから始めるのではなく、やっているうちに気にならなくなる。芸術制作に限らず、何かを始めることへのハードルを下げてくれるアドバイスです。

そして本書の終盤では、生成AIの問いにも触れています。リズムだけを楽しめばいいのであれば、AIが作ったものと人間が作ったものは区別がつかない。ダダやシュルレアリスムがやろうとしたことは、いわば人力のAIのようなものだったとも言える — しかし、最後に残るのは生きた身体があるかどうかだ、という趣旨のことが書かれています。

リズムを捉えることがセンスだと論じてきた本が、最後に「でも身体がないとダメだ」と着地する。この展開には少し引っかかりました。リズムを感受する主体としての「生きた身体」は、本書の理論の中でもう少し丁寧に位置づけられてもよかったのではないかと思います。ただ、1920年代前後の芸術運動を人力のAIと捉える視点は面白いですし、この問いを開いたまま残しているのは、入門書としては誠実な態度なのかもしれません。

さいごに

「センスの哲学」は、美術やアートに少しでも興味がある人が、構えずにサクッと読める一冊だと思います。「よし、この本でセンスを磨くぞ!」と意気込んで手に取る必要はありません。日常の中で自然に手に取って、読み終えたときに世界の見え方がちょっとだけ変わっていたら — そのくらいの距離感がこの本には合っていると思います。

理論の方向性は正しいと思いますし、入門書としての完成度は高いです。ただ、著者自身の創作経験からの具体例がもう少しあれば、この本は入門書を超えた説得力を持てたのではないか — そう思うと、やはり「もったいない」という感想に落ち着きます。

美術書が「正しいことを言っている」だけでなく、「自分でやってみた」「他者にも伝わった」まで踏み込む日が来たら、このジャンルはもっと面白くなるはずです。千葉雅也さんの次の著作では、小説家としての経験から語られる「センスの実践」を読んでみたいと思います。